佐渡国分寺 国分寺の歴史

天平13年(741)聖武天皇の詔によって僧尼の二寺が建てられる。


天平12年(740)に各国に七十塔一基を建てられる。


天平15年(743)以後10年間越後国に佐渡国が合併したことで、その間に島分寺として完成したであろうという説があります。


天平宝字8年(764)頃に完成。(一説)


正安3年(1301)の雷火には七重塔を失う。


享禄2年(1529)寺堂火災で宝物旧記を失う。




遺構について。


1.金堂跡

長径4.5尺、短径3.5尺ほどの自然石21個が認められる。間口59尺、奥行44尺の桁行5間、梁間5間の建物。


2.中門跡

八箇所に栗石群とみなされる痕跡あり、一ヶ所に自然石の礎石が残存されていることが明らかになる。間口45尺、奥行20尺、梁間二間の門と推定。


3.廻廊跡

金堂と廻廊を結ぶ廻廊。礎石の大きさは径1.8尺内外のもので、柱間は約11尺、東西廊とも12間、南廊は両脇とも6間で、北廊は5間。東西廊とも132天平尺、北廊は金堂間口を含め、南廊は中間間口をあわせて、共に165天平尺に復原。


4.南大門跡

径2尺2.3寸の自然石4個発見、これらと根固めの栗石と見なされる痕跡によって南大門あとは桁行5間、梁間2間で、57尺と20尺の建物であったろうと推定。


5.塔跡

塔とは舎利すなわち仏骨をおさめるところで最も大切なところ。国分寺建立の詔で七重塔を建てよと仰せられたわけです。瑠璃堂を右に迂回して30間ばかりの所、堂の背後に4尺に6尺ほどの礎石があり、これが塔の中心礎石で、佐渡志に「七重の塔礎は今も残れり、奇古のものなり」と記されて古くから知られていたもの。礎石は径8尺ほどの巨大石。昭和3年、この礎石の西北方、西南方に各々一個の礎石が発見、それぞれ5尺2寸に5尺4寸、3尺5寸に3尺2寸で側柱礎。両者の間隔は31尺7寸。以上のほかに瑠璃堂前の3尺4寸に3尺1寸の灯篭台石は塔礎の1つであろうと考えられる。


6.新堂跡

金堂跡の東方に一群の礎石があり、桁行5間、梁間5間で、礎石の大きさは大小の差はあるものの、大体2尺から2尺5寸の自然石28個を数えられる。礎石の配置からみて、この建物は平安時代のもので新造薬師仏を安置したところと考えられ、新堂跡と名づけられた。つまり新しく建てた金堂を意味する。礎石の間隔は平均値を元めると桁行の両端間がそれぞれ8.8尺である外は全部9.5尺の等間隔と推定されるので、桁行は46.5尺、梁間は47.5尺になる。

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